2010年03月10日

けっきょく。

見てしまった。

22時に帰ってくるし。

今回は塚本さんの回でした。

役者ごとに、あらゆる演技の意図や背景を問う、うるさい自分。

にしてもいいドラマです。

ようやく正登のキャラにも救いが生まれ

少し安心しています(笑)。

とはいえ、この弁護士像はけっこう

リアルなとこ突いてるな、と思いました。

話はそれますが、

弁護士は代理人ということを皆忘れています。

そこに責任の主体や正体はありません。

つまり、本質的には責任を負わなくていい職業です。

クライアントの利益と、利己心のために次第に自分を

見失っていくのは多くの場合、自然な流れといえるかもしれません。

医者と弁護士はよく並べられますが、

まったく違うと思います。

だから、タレントになって世の中を撹拌したり、

政治家になって世の中を変えたり、

少しでも「主体=個」に向かいたくなる弁護士が

多いのかな、と思ったりもします。

今からすでに。

今からすでに最終回楽しみです。

残念ながら、明日は多分みれないけれど、

最終回は生で見るつもりです。

個人的には7話の

「あんたを見てると、私もこれでいいんだって勇気が出る」
(おそらくこんな感じ)

というシーンにグッと来ました。

制作者の心意気のようなものを感じたからかもしれません。

このセリフに迫り来るようなリアリティを感じたことで、

このドラマが成立した瞬間を、見たような気がしました。

水戸黄門の印籠を見たような気分ともいえましょうか。

人々に勇気を与えるために、本当に熱い気持ちで

このドラマをつくってるんですよね。

世の中が、少しでもいい方向にゆきますように。

格子効果

最近、髪を切ってない。

断ってるのと、向こうが忙しいのと両方ある。

休憩しようと玄関に向かうと、ちょうど帰宅したばかりの目線と合う。

「あ、その髪型、作家みたいでかっこいい」

「そう?」

リビングに入ってくるなり、

「あはは。やっぱり、そうでもなかった」

そりゃ、そうでしょうよ。寝癖のまんまだし。

つまり、我が家の扉は格子状。

サンタフェ効果ってやつね。

2010年03月07日

新宿アラフォー世代

今日は地球環境映像祭の表彰式。

1992年のリオでの地球サミットと同時にスタートし、

今年で18回を迎えるという。

1992年は自分が博報堂に入社し、

形はともあれ社会との循環を始めた年。

同じ年月を重ねた映画祭に感慨深いものを感じる。

ここまでくるには、様々な苦境があったことは想像に難くない。

関係者の方々を始め、新宿区の矜持には心から尊敬を表したい。

パーティーで今回のグランプリ受賞者や、映画祭の関係者と

話す機会を得たが、同世代が多かったのが印象的だった。

今回のグランプリの二作品はともにNHKのもの。
(NHKの作品が選ばれたのは、10年ぶりくらいらしい)

ここにきて、番組が有料コンテンツとして視聴者と直接結びつき、

視聴者への真の意味での責任が発揮されている

気がするのはぼくが年をとったせいだけだろうか。
(と書きながら、エチカとサキヨミを見ていますが。。)

日本中(いや世界中だと思う)さまざまな地域からの人間が集い、

同じベクトルに向いているというのはとても興味深く、

それはこの映像祭の範疇には留まらないことだと正直感じた。

美意識の高いキュートな映像祭に魅せられたと同時に、

この流れはもう逆戻りすることはないのだと、

強く印象づけられた三日間だった。

いちごケーキの呟き

「この、ケーキうまいねえ」

 洗面所にて呟く。

「なに、洗面所でケーキ食べてんの?」

 とおくで声がする。

「いや、舌に味が残ってて今味わってるところ」

 なんだか言ってて自分が面倒くさくなる。

「それだけ、おいしかったってことだね」

 からかってごめんなさいと反省する。

 手前味噌な内容だった、

 とさらに深く反省する。

(でも書いてしまったことは受け止める)

2010年03月05日

チョッチョリーナ

 おとといの晩のこと。

 一緒にドラマを見終わった後で、なにかの拍子に

「そんな、チッチョリーナって議員じゃないんだからさ」
 
 と言うと

「チョッチョリーナだよ」とつれ。

(むっ・・・)
 
「い、いや、チッチョリーナであってるよ」と言うと

「チョッチョリーナ、ぜったい」と曲げないつれ。

(むむっ・・・)

 言い出すと治まらないので放置する作戦へ。

 すると、しばらくして

「あっ、あれはチョッチョネだった。あはは」とつれ。

「・・・」
 (それは多分、チョッチュネだと思うし、
 どうして具志堅さんとつながるのだろう・・・)

 かくして実践的、脳科学への探求の興味はつきずに、

 夜は今日もふけてゆくのです。

視聴率は期待率?

視聴率十数パーセントもとるドラマの場合、

四人のグループがふたつあれば、

どちらかひとつのグループに必ず、

視聴経験者がひとりいることになります。

この「ひとり」は、OLや主婦などのグループにおいて、

強力な口コミの源となってくれることでしょう。

なので、連続ドラマなどの場合は

前回面白かったかどうか、が

次の視聴率に反映されるのではないかと。

ついに視聴率トップ、おめでとうございます。

尻上がりはきっとドラマが面白いことの証明です。

2010年03月04日

成長の過程

若い人も読んでると聞いたので、

人の成長の過程について思うところをひとつ。

あくまでも、ぼくの感覚です。

①大きさを求める→
(誰でも知ってること、有名であることに集まる)

②イメージを求める→
(ただ有名だけでなく、格好良さそうなことに集まる)

③実を求める→
(自分が真ん中にいること、責任の中心にいることを求める)

④個を求める
(自分が誰であるのかを問う。本当の意味での自立)

最初から④に向かう強者もいますが、

弱い人間はだいたいこの過程を通るような気がします。

でも、この過程はいろんな矛盾や葛藤を経験し、

実体験として社会のことや人間のことがわかるようになるので、

一歩ずつ成長するにはいい過程だとも思っています。

さらに、定年して会社の話をする人はいないでしょうから、

誰もがいつかは④と対峙することになるわけで、

それも公平にできています。

ぼく?

もちろん弱い人間の代表です。

2010年03月03日

役者の役割

脚本にはあえて典型的なパターンを採用することもある。

そんな状況は役者にとって厳しい条件に違いないでしょうが、

むしろそんなときこそ役者の演技力が試されるときといえそうです。

なぜなら、人間は知っていることに安心を覚え、

知らないことに感動を覚えるからです。

すなわち、役者は予定調和のストーリーの中において

共感を得ることのできる演技をしながらも、

観客の予測を超えるような、新鮮度の高い演技を

その中に盛り込んでいかなくてはならないといえます。

極端なことを言えば、私たちがあまり経験したことのない話が

書かれている脚本よりも、予定調和的といわれる脚本の方が、

役者の演技力を試されるともいえるのかもしれません。

(そして、予定調和は「普遍」のひとつの形ともいえなくもない。

「普遍」へと昇華されるその前の形態かもしれない。)

どこにでもいそうなありがちな人物設定において、

もしその登場人物や登場シーンに惹きつけられているとすれば、

それは間違いなく役者の力です。

そして、役者というのりしろ部分を

見事計算し、導くことのできた

スタッフの勝利ともいえるでしょう。

自由。

会社をやめるときに、三つの目標をたてました。

①移動の自由
→働く場所を規定されないこと。

②時間の自由
→働く時間を規定されないこと。

③精神の自由
→公の場で自由に発言できること。

どこぞの国の貴族の発言にもあったような内容かもしれません。
(あれ、貴族は働かないか(笑))

これつきつめると、好きな時間に寝て好きな時間に起きて、

自分の家で仕事をする、ということになってしまうんですね(笑)。

ちなみに、ぼくの場合。

集中すると、その場から移動しません。

時間もなるべく、取っ払えるだけ取っ払います。

そのときと違った精神状態になると、

降りてきたものが消えてしまいそうで、

玄関を出ることすらためらうことしばしです。

そんな日々の状況で、たまに仕事場に出向くと、

なんて居心地のいい場所なんだ、

と我ながらほれぼれすることになります。

二つも遊ばせておくのはもったいないな、

と思いながら

やはり、移動を避けてしまう自分がいます。

でも、やっぱりもったいないなあ。