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2010年03月01日

祖母へ。

祖母が死んだ。

先週の金曜のことだった。

それから、数日の間、呆然と過ごしている。

子供の頃のある一定の期間、

祖母は間違いなく自分にとっての命綱だった。

祖母の言葉に存在に、どれだけ癒し救われたかわからない。

大学時代は二人で暮らすことになり、随分迷惑をかけもしたが、

その借りをどうやって返せばいいのか、いまでもわからない。

それからは、会っても年に数回。

社会人になり、大阪へ行き、東京に戻り、

忙しさにかまけて会いに行けなかったことが悔やまれる。

二年前。

それまで会えば元気だった祖母が、

自分のことを判別できなかった。

だが、誰かれかまわず自分の名前を呼ぶ祖母に、

祖母の記憶の中に自分が生きていることを知った。

先週。

祖母はなにかのウィルスと戦っていた。

だが生きている最後の顔は、

これまで生きてきたことをすべて夢にして

持ち去っていくように穏やかでもあった。

その静かな顔を見ることができて、

自分は少しだけ落ち着いた。


「ばあちゃん、ありがとな」

2010年03月03日

自由。

会社をやめるときに、三つの目標をたてました。

①移動の自由
→働く場所を規定されないこと。

②時間の自由
→働く時間を規定されないこと。

③精神の自由
→公の場で自由に発言できること。

どこぞの国の貴族の発言にもあったような内容かもしれません。
(あれ、貴族は働かないか(笑))

これつきつめると、好きな時間に寝て好きな時間に起きて、

自分の家で仕事をする、ということになってしまうんですね(笑)。

ちなみに、ぼくの場合。

集中すると、その場から移動しません。

時間もなるべく、取っ払えるだけ取っ払います。

そのときと違った精神状態になると、

降りてきたものが消えてしまいそうで、

玄関を出ることすらためらうことしばしです。

そんな日々の状況で、たまに仕事場に出向くと、

なんて居心地のいい場所なんだ、

と我ながらほれぼれすることになります。

二つも遊ばせておくのはもったいないな、

と思いながら

やはり、移動を避けてしまう自分がいます。

でも、やっぱりもったいないなあ。

役者の役割

脚本にはあえて典型的なパターンを採用することもある。

そんな状況は役者にとって厳しい条件に違いないでしょうが、

むしろそんなときこそ役者の演技力が試されるときといえそうです。

なぜなら、人間は知っていることに安心を覚え、

知らないことに感動を覚えるからです。

すなわち、役者は予定調和のストーリーの中において

共感を得ることのできる演技をしながらも、

観客の予測を超えるような、新鮮度の高い演技を

その中に盛り込んでいかなくてはならないといえます。

極端なことを言えば、私たちがあまり経験したことのない話が

書かれている脚本よりも、予定調和的といわれる脚本の方が、

役者の演技力を試されるともいえるのかもしれません。

(そして、予定調和は「普遍」のひとつの形ともいえなくもない。

「普遍」へと昇華されるその前の形態かもしれない。)

どこにでもいそうなありがちな人物設定において、

もしその登場人物や登場シーンに惹きつけられているとすれば、

それは間違いなく役者の力です。

そして、役者というのりしろ部分を

見事計算し、導くことのできた

スタッフの勝利ともいえるでしょう。

2010年03月04日

成長の過程

若い人も読んでると聞いたので、

人の成長の過程について思うところをひとつ。

あくまでも、ぼくの感覚です。

①大きさを求める→
(誰でも知ってること、有名であることに集まる)

②イメージを求める→
(ただ有名だけでなく、格好良さそうなことに集まる)

③実を求める→
(自分が真ん中にいること、責任の中心にいることを求める)

④個を求める
(自分が誰であるのかを問う。本当の意味での自立)

最初から④に向かう強者もいますが、

弱い人間はだいたいこの過程を通るような気がします。

でも、この過程はいろんな矛盾や葛藤を経験し、

実体験として社会のことや人間のことがわかるようになるので、

一歩ずつ成長するにはいい過程だとも思っています。

さらに、定年して会社の話をする人はいないでしょうから、

誰もがいつかは④と対峙することになるわけで、

それも公平にできています。

ぼく?

もちろん弱い人間の代表です。

2010年03月05日

視聴率は期待率?

視聴率十数パーセントもとるドラマの場合、

四人のグループがふたつあれば、

どちらかひとつのグループに必ず、

視聴経験者がひとりいることになります。

この「ひとり」は、OLや主婦などのグループにおいて、

強力な口コミの源となってくれることでしょう。

なので、連続ドラマなどの場合は

前回面白かったかどうか、が

次の視聴率に反映されるのではないかと。

ついに視聴率トップ、おめでとうございます。

尻上がりはきっとドラマが面白いことの証明です。

チョッチョリーナ

 おとといの晩のこと。

 一緒にドラマを見終わった後で、なにかの拍子に

「そんな、チッチョリーナって議員じゃないんだからさ」
 
 と言うと

「チョッチョリーナだよ」とつれ。

(むっ・・・)
 
「い、いや、チッチョリーナであってるよ」と言うと

「チョッチョリーナ、ぜったい」と曲げないつれ。

(むむっ・・・)

 言い出すと治まらないので放置する作戦へ。

 すると、しばらくして

「あっ、あれはチョッチョネだった。あはは」とつれ。

「・・・」
 (それは多分、チョッチュネだと思うし、
 どうして具志堅さんとつながるのだろう・・・)

 かくして実践的、脳科学への探求の興味はつきずに、

 夜は今日もふけてゆくのです。

2010年03月07日

いちごケーキの呟き

「この、ケーキうまいねえ」

 洗面所にて呟く。

「なに、洗面所でケーキ食べてんの?」

 とおくで声がする。

「いや、舌に味が残ってて今味わってるところ」

 なんだか言ってて自分が面倒くさくなる。

「それだけ、おいしかったってことだね」

 からかってごめんなさいと反省する。

 手前味噌な内容だった、

 とさらに深く反省する。

(でも書いてしまったことは受け止める)

新宿アラフォー世代

今日は地球環境映像祭の表彰式。

1992年のリオでの地球サミットと同時にスタートし、

今年で18回を迎えるという。

1992年は自分が博報堂に入社し、

形はともあれ社会との循環を始めた年。

同じ年月を重ねた映画祭に感慨深いものを感じる。

ここまでくるには、様々な苦境があったことは想像に難くない。

関係者の方々を始め、新宿区の矜持には心から尊敬を表したい。

パーティーで今回のグランプリ受賞者や、映画祭の関係者と

話す機会を得たが、同世代が多かったのが印象的だった。

今回のグランプリの二作品はともにNHKのもの。
(NHKの作品が選ばれたのは、10年ぶりくらいらしい)

ここにきて、番組が有料コンテンツとして視聴者と直接結びつき、

視聴者への真の意味での責任が発揮されている

気がするのはぼくが年をとったせいだけだろうか。
(と書きながら、エチカとサキヨミを見ていますが。。)

日本中(いや世界中だと思う)さまざまな地域からの人間が集い、

同じベクトルに向いているというのはとても興味深く、

それはこの映像祭の範疇には留まらないことだと正直感じた。

美意識の高いキュートな映像祭に魅せられたと同時に、

この流れはもう逆戻りすることはないのだと、

強く印象づけられた三日間だった。

2010年03月10日

格子効果

最近、髪を切ってない。

断ってるのと、向こうが忙しいのと両方ある。

休憩しようと玄関に向かうと、ちょうど帰宅したばかりの目線と合う。

「あ、その髪型、作家みたいでかっこいい」

「そう?」

リビングに入ってくるなり、

「あはは。やっぱり、そうでもなかった」

そりゃ、そうでしょうよ。寝癖のまんまだし。

つまり、我が家の扉は格子状。

サンタフェ効果ってやつね。

今からすでに。

今からすでに最終回楽しみです。

残念ながら、明日は多分みれないけれど、

最終回は生で見るつもりです。

個人的には7話の

「あんたを見てると、私もこれでいいんだって勇気が出る」
(おそらくこんな感じ)

というシーンにグッと来ました。

制作者の心意気のようなものを感じたからかもしれません。

このセリフに迫り来るようなリアリティを感じたことで、

このドラマが成立した瞬間を、見たような気がしました。

水戸黄門の印籠を見たような気分ともいえましょうか。

人々に勇気を与えるために、本当に熱い気持ちで

このドラマをつくってるんですよね。

世の中が、少しでもいい方向にゆきますように。

けっきょく。

見てしまった。

22時に帰ってくるし。

今回は塚本さんの回でした。

役者ごとに、あらゆる演技の意図や背景を問う、うるさい自分。

にしてもいいドラマです。

ようやく正登のキャラにも救いが生まれ

少し安心しています(笑)。

とはいえ、この弁護士像はけっこう

リアルなとこ突いてるな、と思いました。

話はそれますが、

弁護士は代理人ということを皆忘れています。

そこに責任の主体や正体はありません。

つまり、本質的には責任を負わなくていい職業です。

医者と弁護士はよく並べられますが、

まったく違うと思います。

だから、タレントになって世の中を撹拌したり、

政治家になって世の中を変えたり、

少しでも「主体=個」に向かいたくなる弁護士が

多いのかな、と思ったりもします。

2010年03月13日

ふたつの水槽

我が家には水槽がふたつある。

ひとつは、本物の水槽。

これは、生態系の贅を尽くした、

天然の美しき造形美が広がっています。

(これは今度くわしく書きたい。。)

もうひとつは、お腹の中の水槽。

この時期、ぐるんぐるん暴れるらしく、

それを楽しんでる人が人がいます。

聞くにつけ、まるでお腹の中に

大きな魚を飼っているようではないか、

などと思ったりします。

日本はどっちに行く?

久々にいい話を見た。

元中古本屋の店主と、その本屋の事故に巻き込まれ、

脳死の判定を受けた女の子のご両親との交流の話。

脳死に関しては痛ましいことこの上ないが、

元中古本屋の店主は、毎日その女の子の送り迎えをし、

その親御さんはそれを受け入れているだけでなく、

数千円で中古の本を元店主に買ってもらっていたことや、

そこから女の子のおしめ代も出ていたという過去の恩を忘れていない。

こうした寛容さは、かつて日本人がもっていた美徳のような気がしてならない。

いつから、自分だけが損をしていると思う人が増え、

思い込むとそれを人のせいにして、

そうした不平を言って通れば儲けもの的な、

言ったもの勝ちの世界になってしまったのだろうか?

すべて自分に返ってくることを忘れてはいないか?

これは、約束とか、仁義とか人間として基本的な関係づくりを

すべて契約でしか信じられない、腹の底では誰も信頼しない

居心地のわるい世界にしていくことだ。

企業は社員をもっと信用できなくなり、

結果、働くこと自体が契約でがんじがらめにされ、

息のつまるものになっていく。

努力して結果を出しても、かつての自分のような者たちに、

引きずり降ろされる心配をずっとしなくてはならない。

これは自分の幻影に脅かされることだから一生続く。

そして、そこから逃れるためにもっと心を麻痺させていく。

諸外国に行ってみればすぐにわかることだ。

それはさておき、

昨日のNHKの在日米軍の世論調査を見ていたら、

日本人は自立を諦めてしまったように思えた。

勿論、きれいごとだけでは生きてはゆけないけれど。

だが、元アジア局長の田中さんの戦略論的な切り方はとても

客観的かつ現実的で、さらに実があるだけに説得力もあった。

メディアの気分でこういう人を一斉に悪者にしたり、

すぐに手のひらを返したりする。

同様に、世論もけっこう無責任だ。

結局、現実唯一の国民性なのかもしれない。

ぼくは誰かが言っていたような世論を後追いだけするような政治は、

まず成立しないと思う。

何かを見るたびに、書くのは評論家のようで躊躇していたが、

どうせ書くならすぐに書こうと思う。

2010年03月14日

プレシーズン

ぼくはオープン戦の結果にはあまり興味がない。

メディアはネタがないと困るだろうから

囃したてるけど、いちいち結果だけを気にされたら

試したいことも試せないんじゃないかと思ったりもする。

(ぼくがアスリートだったら、苦手な球種だけに絞ってみる

 日とかをつくるかもしれない。そんな甘い世界ではないと

 言われれば、座して申し訳ありませんと言います)

菊池投手の調子が今ひとつで、松坂選手が激励したとかいうクリップを

見かけたりもしたけど、たしか松坂のオープン戦デビューも、

6失点とか5失点とか打ち込まれていた気がするし、

結果を性急に求めすぎな気もする。
(まあ、それも期待の現れであり、人気者はそんなプレッシャーに
 よって鍛えられていく、という説もある)

いずれにしろ、スポーツは本番の結果を楽しみにしたい。

幾多のドラマも苦労話も、結果が出てからにしてもらいたい。

田中くんは、あれだけテレビに出てたから、

今年活躍しなかったら、残念ですね。

2010年03月15日

月と太陽のサイクル

自分のライフサイクルは、月の満ち欠けと同じように

ずれてゆき、昼型から夜型、夜型から昼型を行き来する。

これは、人間の体内時計が一日25時間という事実に起因

しているのかもしれないし、長いクリエイター生活で

自律神経が壊れてしまっているという説もある。

いずれにしろ、つれのように太陽のライフサイクルの人

(性格は逆らしい)と共同生活をしていると、

活動時間帯が同じの時期と真逆の時期とが出てくることになる。

起床時間帯が重なっている時期の方が

諸々はかどるかというとそうでもなく、

やる気モード全開の瞬間につれが帰ってきて

「ああ!」と思うこともあれば、

夜中じゅう働いたあとで、朝食(自分にとっては夜食)

をゆっくり一緒にとってくつろげたりすることもある。

全撮影を終了し、全身脱力状態のつれを背にしているのも、

それはそれではかどったりもする。

それにしても、太陽は好きなのに、

太陽にのりきれないのはなぜなのだろう。

(知っている。それは意志がよわいせいだ)

この低体温も、足裏の冷たさも、

そんな生活のせいだろう。

ひなたぼっこして体を温めてから活動する高原のヒヒの

気持ちがよくわかる今日この頃です。

2010年03月16日

ありがとうございます。

ハーブティーが好きだ。

近所のハーブティー屋がなくなってがっかりしていたら、

主演の方から、同じハーブティーをいただいてきた。

チョコレートがもっと好きだ。

仕事場の近所のドミニクサブロンになかなかいけないことを

嘆いていたら、主演の方からジャーンポールヘブンの

ヨックモックみたいなチョコレートをいただいてきた。

さらに、マヨネーズだけでは物足りない日々に

マヨネーズ風のドレッシング。

いつもほんとうにありがとうございます。

お返しに、くつしたというのは

使ってもらえたのでしょうかねえ。

春ですね。

夜、とても寒いときがある。

凍死するのではないかと思う。

春なのに真冬よりも寒く感じるよ。

春はうれしいけど、

三寒四温は酷なのだ。

この時期、冬眠していた動物たちと共に

自分も活動を開始する季節でもある。

リスやカエルやハリネズミ、あいつらはかしこい。

あいつらが冬眠する気持ちがよくわかる。

だって、土の中はあったかいもの。

たのむから、天気予報を見て、

「うふふ、明日冷えそうだよ」

とうれしそうに言うのはやめてくれ。

2010年03月17日

春日の人気の理由

春日のキャラは濃いから飽きられたらはやい、

といろんなところで書かれているのを見たが、

ぼくはこの人気は続くと思っている。

これはぼくの完全な独断だが、

春日の最大の強みは、売れなくても別によかった、

という本人の思考回路にあると思っている。

本当に勝手なことを言わせてもらえば、

春日は売れないお笑い芸人として

自由気ままに楽しく暮らせれば、

貧乏だろうと、どんな目で見られようと

別によかったのではないか。

そのくらい人生に達観していれば、

怖いものはないし、なにが起きても動じたり

媚びたりする必要はない。

フーテンの寅さんを「地」でいっている生き方は、

天性のお笑いタレントといえまいか。

ハングリーというお笑いの世界に

こんな図太いキャラがいたら、

なかなか勝てるものではない。

その自由の果てのもっと大きな存在に、

タモリさんがいると思っている。

オードリーに、吉本じゃないの?と、

つっこんでも、なんにもならないと思うし、

見てる側は逆に彼らを応援したくなるだけだ。

芝居は「受け」。

芝居で大切なのは、内なる叫びを赤裸々に表に出すこと、

なんてことを想像すると思いますが、

芝居でもうひとつ大事なのは「受け」です。

映像ではモンタージュともいい、お笑いではつっこみにもあたります。

上手な役者さんは、ボケとつっこみの両方を

相手に合わせて自在にこなしているわけです。

どんなにいい芝居も、相手の「受け」がないと光ることはありません。

面白い芝居は、まず間違いなく出演者同士が

バランスよく受け合っています。

主演のカンノさんを始め、役者の方々がどう受け合ってるのか

じっくりと見てみてください。

そして、顔芸の数々、へんてこ笑い、あやす声色、

あひる歩き・・・(思い出すだけでもおかしい(笑))

どれだけの芸が炸裂するかを楽しみに待ちましょう。

そう、本日は最終回ですね。

(なんだか番宣みたいになってしまいすいません)

2010年03月18日

尻はふたつに割れている

これまでぼくのお尻はひとつにくっついていたことを、

ヨガの先生の言葉によって知りました。

片足だけを垂直まであげることができないぼくの姿を

先生に異常かどうかと尋ねたところ、

「あなたのお尻はひとつにくっついてます」

と言われたのです。

そのときぼくの脳裏には、人魚の姿が浮かびました。

つまり、これまでのぼくは二足歩行類ではなく、

魚類に近い生き物だったのです。

もう少しフォローの言葉をいただけると思っていたのですが、

ここまで身も蓋もなくきびしく言っていただいたおかげで、

それからというもの、

ほ乳類としての肉体改造に励み、

最近では尻が割れてくる喜びを、

日々味わっています。

2010年03月19日

芝居をどこまで浮かすか?

芝居をどこまで浮かすかというのは、

とてもデリケートな部分だと思います。

うまく浮かすことができれば、

その人でなければできない演技になるし、

完全に浮いてしまえば、

いわゆる「やっちゃった」状態になるわけです。

この二律背反する問題をどう裁いていくかが、

役者の腕の見せ所なのでしょう。

うまいと言われる役者さんは、たいていが

余計なことをしない、とか言ったりしますが、

そこに至るまでは、勇気をもって浮かすことを

実践してきているわけですからね。

ただし、自分だけに酔いしれている演技は、

浮かす演技とはまた異なったものだと思います。

浮かす演技とはあくまでも周りが見えた上で、

全体のバランスの中でどう浮かすかを考えた

演技のことを指します。

そして、浮いた演技にいろんな批評や反応をもらうことで

役者は鍛えられていくのだと思います。

2010年03月20日

ダルビッシュは今年も抑えるか?

昨年末、ダルビッシュが変化球の曲げるタイミングを

ゴルフのクラブの長さに例えていたのを覚えている。

それを引き出した栗山氏もたいしたものだし、

そこまで言っていいの?ということまで

明かしてしまうダルビッシュはさらにすごいと思った。

ぼくは発言の内容から、腕が高い位置から出たときは

変化球は打者の手元で曲がり、低いリリースポイントのときは、

球がもっと手前から大きく曲がるのだと想像した。

想像はてんで外れているかも知れないし、

想像できたからといって打てるものでもないのかもしれない。

いよいよパリーグの開幕だ。

2010年03月21日

妊婦の不思議

ドラマで週ごとに大きくなっていくお腹を、

ふしぎな目で眺めていたが、

妊婦が身近にいるのはもっと不思議だ。

妊婦を見ていると、「繁殖」を思わずにはいられない。

人間は自然の一部であって、紛れもなく動物なのだと

思わせられる。

あの鳥のような不思議な体型を見るにつけ、

男と女の間に妊婦があるのではないかと思う。

そのくらい神がかり的なものを感じてしまう。

あのお腹は紛れもなく卵であり、

お腹に卵をかかえているのだ。

そこからなにかふしぎな重力が

生み出されている気がしてならない。

地球の重力をも凌駕し、宇宙のビックバンにも

匹敵するような、圧倒的ななにかが。

しかし、ドラマとシンクロする形で

妊婦をつくるなんて、

神様もしゃれたことをするものだ。

(現場はたいへんだったと思います(笑))

2010年03月23日

男と女のあいだには

男は自分が言ったことや言われたことはだいたい覚えているが、

どこになにを置いたかとか、昨日の夜に何を食べたかなんて

ことはそれほど覚えちゃいない。

女は調味料をどこに置いたとか、どこに何を脱いだかなんて

ことをしっかりと覚えているが、

自分が言ったことや言われたことはわりと都合良く忘れる。

(もちろん個人差がある。ちなみに言ったことを

 覚えていない男も身近に知っている)

男と女のあいだには、きっと一生かけても探求できぬほどの

多くの謎があるのだ。

電化製品

 二週間くらいまえの会話。

「さいきん、ツイッターにもにたようなものが出てるみたいだね」

 と言うと、

「そういう電化製品って、すぐ類似品たくさん出てくるよね」


「うん?それじゃツイッターって電気屋で売ってるの?」

 と言うと、

「え、ちがうの?だってYちゃんこ〜んな小さい機械見せてくれたよ」

「・・・」

 もしかしたら、この世にツイッターはふたつあるのかもしれない、

 と新たな可能性を探りはじめる自分。

 誰か、電気屋さんで売っているツイッターがあったら、

 おしえてください。

2010年03月24日

國村さん

近所のスーパーにたまに行くが、

そこで國村さんとお会いしたことをそのたびに思い出す。

多分その日は、ぼくがはじめてちゃんと

他人の方に紹介された日じゃないかと思う。

なにかの稽古の最中だとおっしゃっていた。

ぼくが映像をつくっていると知った途端、

微妙に距離ができたのも、なんとなく共感を

感じたのを覚えている。

(その感じなんとなくわかるからです)

実はほとんど外にでれなかったときも、

偶然にご一緒したことがあって、

なにかの縁を感じたりもする。

十年くらい前に見た、

交通事故で因縁をふっかける男の役を演じている國村さんが

ぼくには忘れられない。

2010年03月25日

裏通りにて。

その日は裏通りを歩いていた。

人通りも疎らで、ストレスもない、散歩が好きだから。

途中、通行人の女性たちとぶつかりそうになった。

女性たちは顔を見合わせると、迂回していった。

そう、ぼくも話していてうっかりしていたのである。

散歩のつれは、笑いながらその真ん中に足を踏み入れた。

「あ」

地面にはいたるところに犬のものがこびりついていた。

「ええ!なんで言ってくんないの!」

「・・・」

(そんなこと言われても。目の前の女性たちの行動で

 普通わかると思うし・・・)

「ちがう。ぜったい、あれは、そんなんじゃない」

「そうだね。きっと」

こうしてふたりは何事もなかったように、

ふたたびヒルズ裏通りを歩いていった。

 

 

2010年03月26日

浦島太郎はなぜ金をわたすようになったのか?

浦島太郎は、お金で亀を助けました。

最新の浦島太郎のストーリーだそうである。

つれから聞いた話なので、ぼくが見たわけではない。
(つれは、共演の方から聞いたものと思っていたが、
 単純にテレビで見たということだった)

なぜこのようなストーリーになってしまったのか。

批判するのは簡単だが、物語がぬりかえられるのは、

歴史上当然のことといえば当然なのかもしれない。

どんな理由からそうなったのか、と勝手に推察してみることに。

①お金を払わないのはフェアじゃないから
 (お金を払って解放する方がかえって紳士的だから)

②むやみに助けようとする子供がいたら危ないから

③対価をもらわずに、いじめっ子たちが納得したことを、
 いまの子供たちが理解できなかったから

④お金を払わずにいじめっ子たちから亀をうばうのは、
 搾取であり、これはいじめを繰り返すことにほかならないから

⑤武力貢献において経済的貢献も是とする日本の立場を
 擁護したかったから

皆さんは、どう考えますか?

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