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2010年04月04日

脳をつかうとやせるらしい。

おどろいた。

3月の4週目で、62キロあった体重が、59キロに減り、

ラスト二日で、57キロになった。

これは学生時代のベスト体重より1キロ少ない。

いやはや、脳をつかうとやせるらしい。

二足歩行も、怪しい状態だったのが、この三日間の

食生活で、再び60キロ手前までに復活。

すると今度は、お腹が痛み出した。

小さくなった胃や腸に、急に大量の食物がいったので

びっくりしたらしい。

にしても、久々のゆったり、極楽。

うつるので、ストップしていた読書も復活。

日本文学のありとあらゆるものを読まんと意気込むも、

まず、新書へ。

「日本辺境論」、面白い。

新書だが、小説と同じくらいの発見と含蓄がある。

つねにきょろきょろしてキャッチアップするのが日本人であり、

確かなビジョンをもって範を示したらそれはもう日本人ではない、

という論には思わず笑ってしまった。

学びについて、昨年、某音楽学校に通ったときに

思ったことがそのまま書いてあったのもうれしかった。

学びは、上下関係を下がつくらなければいけない。

でも、これ読まないどいて、よかった。

読んでいたら、無意識に影響されたかもしれない。

伊藤計画という方の本を三冊購入。
(嗜好が合いそうだったから。
 まだ読んでいませんが)

火の精神分析。触りだけ読んで、うむうむ。

百年の孤独は、紀伊国屋書店でもうじき累計一万冊だそうである。

これを読むか読まないか、かれこれ十年悩んでいる。
(これを読んでないのは、きっとぼくくらいだと思う)

2010年04月06日

外し芸とバッファロー吾郎

バッファロー吾郎は果たして外し芸に向かうのか?

キングオブコントの優勝はまるでなかったかのような、

なりふりかまわない芸風は、

ときに冷や冷やしながら見てしまう。

外し芸といえば、出川哲朗、ますだおかだのおかだ、

古くはエガちゃん(もう外し芸ではなく堂々たる芸風だと思う)

を思い浮かべるが、誰もがどきまぎしたときの表情のキュートさ、

逆ギレの真剣さ具合などのズレが魅力を醸してるわけで、
(そういうとここに春日も入ってくるのかもしれない)

バッファロー吾郎の木村にそういったキュートさがあるかといえば、

まだ心許ない。

ただこういうのも慣れで、つかんだらはやいのかもしれない。

少し前のケンコバや藤本にもそういう時期はあった気がする。

最後の吉本天素で(正確にはもう一組いた気がするが)、

仲間も多く、チャンスが多いのも強みだ。

芸に厳しい故か、実は外し芸人のいない吉本。

吉本初の外し芸人は生まれるのか?

注目したいところである。

2010年04月09日

学びの姿勢

昨年、短期間だけでしたが、某音楽学校に通いました。

とても、いい先生に恵まれ、なかでもひとりの先生からは

人生訓的なこともずいぶん学ばせていただきました。

ほんとうにいろんなことが入ってきました。

だが、学生時代に比べて、今回の先生方が抜群によかったのか?

というと、それだけでないことに気がついていました。

ぼくも変わった、のだということに。

無心で接すると、ほんとうにいろいろなことが見えてきます。

無心とは幼子の目線にも近いと思います。

傷つけられたことのない幼子は、すべてを肯定し、

相手を信じるところから入っていきます。

この無心の目線で接したとき、

いいところもわるいところも、すべて入ってきます。

実のところ、それらすべてが勉強になる。

それを受け入れることができれば、

たくさんのことを学ぶことができる。

大人になれば、なおさらかもしれません。

必要なことだけ学んでやろう、という

高飛車な姿勢は、

結局、自分の価値観が変わるのが怖い、

自分が劣ってるとすこしも認めたくない、

と防御しているのと同じことなのですね。

なにで傷ついたのかわかりませんが、

ぼくも先生たちが、そして自分が臆病だと

認めることが怖かったのでしょう。

若さ、とはそういうことなのかもしれません。

先生方すいませんでした(笑)。

(あ、それでも、素直な生徒だとすいぶん

 かわいがっていただいたこともあるのですよ。

 素直で、直球な性格はずっと同じかもしれません。

 ただ、大人になるにつれて、

 防御の仕方が変わってきたのでしょう)

というわけで、学びの姿勢とは、幼子の目線で、

教わる相手のすべてをまず受け入れることから

始まる。それは、教える側の姿勢すらも

変えうる力を持っている。

最近、そんな風に考えています。

2010年04月11日

髪を切った日には。

久々に髪を切ってもらう。

前に大きな鏡を置き、上半身裸の状態になる。

「あ、右切りすぎちゃった」

つれがバランスをとろうとする。

「あ、左もっと切りすぎちゃったね。あはは」

と、それが交互に繰り返されて、

どんどん短くなっていく。

鏡を見ていると、腫れた鼻に目がいく。

自分は無理をすると、鼻が腫れる。

まるで、お茶の水博士のように。

そして、ひとり空想に入る。

火の鳥の「我王」を系譜とする鼻の大きな一連の人物は、

手塚治虫先生自身の投影ではなかったか。

そして手塚先生も、無理をすると鼻が腫れたのではないか、

と、勝手に想像を膨らます(ほんとにすいません)。

その後、ずっと借りっぱなしにしていた、ハッピーフライトを見る。

これが期待以上の出来。

航空会社の宣伝を果たしながら、しっかり笑わせてくれるのは、

脚本とキャスティングに隙がないからだと思う。

今更ながら矢口さんの実力に恐れ入る。

「三丁目の夕日」をテレビでちょい見。

これも、まず脚本がすばらしい、と改めて思う。

そして、すべての役者の演技が神がかり的にいいのは、

ノスタルジーだけに留まらない、昭和という括りのある種の

ファンタジーのなせる技なのか、と考えてしまう。

(あ、もちろん監督さんの力がいちばんにありきです)

テレビを惜しみつつ、借りた「おくりびと」を見る。

(期待が大きすぎたせいか)

期待していたほどではなかった。

展開や仕掛けの計算と、狙ったペタンチックが、

ぼくにはやや透けて見えてしまった。

(ただし、韓国などの外国映画として見ると、そこも納得できた)

逆に言えば、アメリカ文化圏にはわかりやすいのかもしれない。

重いテーマに、からっとした演出が不思議なおかしみを醸していた。

しかし、ときどき(いい意味で)ぬめっとしたものが出るのは、

監督のにっかつ出身という背景のなせる技だと敬意も抱く。

話は変わるが、アバターは3Dのシアターが満席で入れなかったので

通常の映画館で見たが、(戦闘のシーン以外は)相当に面白かった。

普通の映画として面白くないものは、

3Dにしたところで面白くなるわけがない。

世界中が3Dに頼りきろうとしているが、ほんとうに大丈夫なのかと思う。

逆にいえばいま日本が面白い映画をつくるチャンスかもしれない。

とにもかくにも、がんばれ日本映画。

2010年04月13日

未来へのひとつの提言

皆も考えてることと思いますが、

ぼくもそろそろ言ってもいいのではないかと、

かねてから思っていたことを今日はひとつ。

①民法テレビの一部有料化

 既存のシステムを死守したい人々からすれば、

 とても怖いことかもしれませんが、

 ここまで来てしまった以上、
 
 未来を切り拓く方が得るものもあるのではないかと思います。

 逆にテレビに力があるいまなら、いろいろ試行錯誤もできる。

 たとえば、映画やドラマは有料にする。
 (その方が腰をすえて、いいものがつくれるのではないか)

 たとえば、宣伝に特化した番組を代理店と組んでもっとつくる。
 (すでにそうなってますね。
 これはさらに昔の形態に戻ることかもしれません)

 海外をそのまま参考にするのはあまり好きではありませんが、

 アメリカですら、ケーブルテレビは有料。

 ヨーロッパはテレビに殆ど依存していません。

 様々な国を見てきた感覚からすると、日本の人々の嗜好は、

 ヨーロッパ化してきているような気がしてなりません。

 有料で見るということは、ひとつの覚悟を視聴者に与えます。

 妙なクレームも減れば、コンテンツをつくる自由度も増すと考えます。

 なにより、もっと自分で考えるようになる人々が増える。
(どちらにしろ、ネットによって自分で考える人々は増えています)

 これは、つまるところ、いい方向に転べば、

 自分で責任をとろうとする人が増えるということ。

 日本の国力が増すということ。

 いかがでしょう。

 

 

 

2010年04月17日

不思議な宿

もう、しばらく出かけられないと、

少しだけ前に、

とある宿へと行ったときのこと。

緑の葉が散っているのを眺めながら、

春は散る季節でもあるのだと、

庭を眺めていると、

ふと散歩に出かけたくなった。

「玄関の鍵をここにおいておきますからね」

とおかみに言われ、

玄関を閉めようと待っていると、

彼女は部屋の中から消えたのだった。

今度は、外から帰ってきて部屋の中に入った瞬間、

別のおかみが部屋の正面扉から出てきた。

つまり、部屋には宿と直結した扉があるらしいのだ。

つくりも温泉も申し分のない宿なのである。

ただ、扉の存在だけが幻想の世界のように浮いていた。

ぼくはいろいろなイマジネーションを、

楽しんでいた。

「これなら、鍵をしめる意味ないよね」

つれがぽつりと言った。

そのときの真剣な表情が、妙におかしかった。

2010年04月20日

そろそろ地デジ

我が家のテレビは、いまだ地デジではない。
(ちなみに、事務所には4台あるよ。
 ブルーレイ録画仕様も)

なので、テレ東は12チャンのままだし、

テレ朝は10チャンのままだ。

たまに、旅行に行くと、世界が変わってびっくりする。

来る客、来る客に「テレビくらい買い換えなよ」

と言われ続け、およそ二年。

これだけは、自分のせいではないと、誓ってもいい。

自分は決めたら、なんでも即買いするたちだから。

では、なぜまだ買い換えないのかというと、

決めようとすると、「ちょっと待って」

と、いわれるからである。
(多分、迷うのが趣味なのだと思う)

迷うのにつきあうのもたいへんなので、

ずいぶんと放置していたが、

さすがに、そうも言ってられないようだ。

いましか、タイミングがないからね。

(でも、実は自分もいまのEIZOのが

 コンパクトで気に入っている)

今日こそは、新しいテレビを買うだろうか。

買うなら、三分くらい(いやせめて一時間くらい)で、

終わらせたいな。

2010年04月23日

卵からコロンブスまで

人は体の大きさによって、

膨れる容量も、中のそのものも

ずいぶんと違ってくるのではないか、と思っていたが、

やはりきちんと平均の大きさにまで、成ってくるようだ。

どうして、母体にあれほどの違いがありながら、

中は変わらぬことができるのか。

遺伝子の成せる技なのか。

だとすれば、種の保存は、ここでも機能している。

人は、あらかじめ大抵のことはインプットされてるのではないか、

などと欧米の学者のようなことを想像する。

ならば、いっそのこと、年代別に国を分けてみても

意外と機能するのではないか、などとあらぬことを考える。

日本は、儒教の国なのか、仏教の国なのか、

フロンティアスピリットを目指すのか、

自前の信教を取り戻すのか、

そろそろ、はっきりさせた方がいいかもしれない。

でなければ、意志のもたないフランスのようになる。

儒教なら、親子は一蓮托生。

その代わり、親が子供の面倒を一生見る。

仏教なら、ひとつには三世の思想。

親は子の独立を願い、祝福する。

墓と思想がこれほどかけ離れているのも

どうにも不思議な気がする。

せめて、いいとこ取りをするのであれば、

世界(アジア)の他国にはできない範や創造力を示したり、

アメリカが世界(ヨーロッパ)に対してとったような、

度量や寛容さを、文化に翻訳した形で

示すべきなのかもしれない、と考える。

(そういう方向にいま踏み出しているとも考える)

ハードルは高い。

「アメリカというのは、つまりひとつのアイディアなんだ」

日本辺境論で見たこの言葉が、ぼくの中でどんどん

大きくなってゆく。

つまり、アメリカは人の自由における理想(と仮定されること)

を世界中から注ぎ込んだ国なのだろう。

間違ったことをしても、そこに執着することのないような、

自浄する仕組みをもっている。

常に変化し、常に新しい芽が生まれ、新しい循環をつくりだす。

その仕組みを維持し続けることこそがアメリカなのだろう。

だからといって、安易に日米安保に向かおうというのではない。

たとえば基地問題は、日本人皆が自分のこととして模索し、

持論にある程度の責任をもつべきことだとも思う。

2010年04月27日

アイディアの生まれる瞬間

妊婦を見ていたら、アイディアの生まれる瞬間と

なんだか似ているな、と思った。

アイディアの生まれる瞬間というのは、

「うーーーーーん、ぽんっ」ってかんじ。

誰かに念力みたいに捻り出す、と言われたことがあるけれど、

遠くはない比喩かもしれない。

脳に圧力をかけて、かけて、かけて、

もう、これ以上絶対に逃げられないというくらいまで

追い詰めると、新しい芽がひとつポンッと出る。

長い創作物をつくるとなると、これを数千、数万、

いやもしかしたら、それ以上の分裂を繰り返す。

それは、それは、つらい。

(けど、たまらなくすきだ。これからもっとつらい

 瞬間がいくらでもあるだろう)

でも、これ、生き物なら誰でもやっていることで、

赤ん坊になる過程の細胞分裂なんかまさにそう。

さらに、惑星が生まれる瞬間もそうだし、核融合などもそう。

この宇宙を司る法則はすべてそう。

ブラックホールで究極の圧がかかったときに、

惑星がひとつ生まれるなんて、

なんてこの世は素敵でミステリアスなのだろうと思う。

そう思うと、なにかを始めるときに、

逃げ場をなくす、というのは当然なんだと思うし、

新しい世界を生み出すのに、

苦痛のないことなど、ありえないのだとも思う。

(だから出産は痛いのかもしれないな)


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