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2010年05月01日

役立たず

かぜをひいた。

さきおとといは病院のはしご。

おとといは一日ダウン。

きのうは小康状態になったので、昼間に散歩に出るも

二度の休憩を挟みながら、ご近所までようやっと辿りつく。

帰りは、おじいさんのような速度で、

這うようにして家へ。
(這々の体とかいたのを、恥ずかしいのでやっぱり戻す。
 いいわけをしてしまってはさらに意味がない。。)

三日前からの食事はというと、

おゆ、おかゆ、おかゆ。

せっかくの竹の子ごはんだったのに、

食物繊維は消化にわるい、

ということで、

竹の子だけのけておかゆにしたのが

なんとも悲しかった。

2010年05月05日

ストイックに淡々と

リッタースポーツのナッツ入り(チョコ)が世界一好きだ。

いまのところ、これが置いてあるのはナチュロだけ。

(半径3キロのご近所で。ちなみに二番目に好きなのは、

 乾燥いちごがまるごと入ったチョコ。

 これは千駄ヶ谷小前のサンクスに置いてある)

つづいて、ナチュロの「昔ながらの牛乳寒天」。

見るからに素朴で、うまそうである。

さらに、もちっと系のパン、自然風味のヨーグルト、

あらゆるラインナップに、はずれなし。

すべて買い占めたら、

五千円もつかってしまったではないか。

ナチュラルローソンあなどれじ。

ちなみに、最近のコンビニは、どこもお食事スペース付き。

皆さん、普通に重宝しています。

こりゃ、外食産業はつらいね。

それでも淡々と、残る店は残ってる。

あんまり、仕掛けすぎない方がいいみたい。

適度に印象良く、適度にサービス良く。

人脈など誇示したがる店はなんだか本末転倒で。

長谷川穂積、えらい。

敗者のコメントはあんなものでいいと思う。

そして、また見たいと思う。

(しかし、あんなに速いチャンピオンは、久々に見た。

 まるで精緻なチェスを見ているかのような。

 本来は頭の中での対決が、

 リングの上に立ち上がったかのような。

 世界にはどれだけの団体があるのだろうか)

泣くまで待つカメラは少し意地悪だな。

WBCのときから、キムテギュン?ずっと見たいと思っていたが、

やっと昨日、テレビで見れてうれしかった。

そのうち、もっと見れるのだろう。

ゴルフの宮里藍選手、サッカーの本田選手

みな、ストイックに淡々と。激しさを内に秘め。

(無論、プレイするときは、激しくてあってもよい)

見習いたいものだ。

2010年05月09日

ゆかしき神宮前三丁目

散歩に出た。

ずいぶん離れた神宮前三丁目まで。

気になる目的地があったので、ちらりと見にいく。

そこは「また、来ますね」と言ってから、一度も訪れていない
 
酸素エステと同じビルに入っていた。

エステのお姉さんたちに見つからないように、そっとエレベータに乗る。

ビルの中から見た景色は、パリの古いアパルトマンのようだった。

それから、神社の方に向かって歩いていくと、

三度目にして、やっと「おばちゃん」の店が見つかる。

商品を配達してくれると、

そこの店主(おじさん)は、この周辺一帯の由来や歴史について、

三十分も説明してくれるので、勝手に「おばちゃん」と呼んでいる。

(おじさん、ごめんなさい)

さらに、歩いていくと、建築界では知られた「棟」の家の裏側へ。

狭い敷地に人が住まうという楽しみを、散々語り尽くした後で、

「ここ、人が住んでるのかなあ」

と言われ、がっかり。

と、鼻の先ほども離れていない隣の敷地に、中華料理屋を発見。

装飾など体裁にとらわれない無骨な外観は、確実にうまいと見えた。

以前、ガレージでやっている中華街の店に取材で行ったことがあるが、

それに匹敵するいい気の抜け方である。

その日は、「鳥」を食べたかったが、どうにも惹かれてしまい、

付近を一周半したあとで、店に舞い戻る。

カウンターの真ん中がちょうど開いたところだった。

両端には、おばあちゃんが座っており、激しくラーメンを啜っている。

なんともたくましい光景に、圧倒された。

味は、見立ての通りシンプルで堂々たるもの。

ぼくは長らく求めていた豚足に、ようやく出会えたのだった。

次こそは「鳥」を食べに行きたい、とも思う。

しかし、鳩山総理の言葉には、まいった。

「理解していませんでした」

最初聞いたときは、驚き、呆れ、しばらくしてから考えさせられた。

確かに、この時点で言うのは、相当にお粗末だ。

しかし、これ以外の言葉で、どう収まるというのだ。

(ぼくは一方的に民主党を支持するつもりもなければ、
 
 選挙で民主党に入れた沖縄県民の怒りはわかる。

 だが、最初からなにも提起しないより、少なくとも

 一年以上かけて、この問題を自分のこととして

 考えられるようになったことは、良かったと思っている。

 今、大変な思いをしたことは、必ず後につながるとも。

 矢面に立たされて奮闘する人間を、後になってからでしか

 評価できない今の状態は少し虚しいとも思う)

少なくとも首相は、嘘の言葉で誤魔化そうとはしていない。

一番恥ずかしいことを、真正面から言っているのだ。

かつて、こんな正直な首相がいたのだろうか、

というより、こんな愚直な首相が成立した国があるのだろうか。

これも、不思議な平和の国、日本の象徴的な出来事であり、

平和を求める世界が漂泊した、ひとつの姿なのだと身動きがとれなくなった。

(ぼくにはその驚きの方が大きいのかもしれない)

十ヶ月かかってからようやく理解するような人は、

逆に言えばそう簡単になにかに染まることはない、ともとれる。

すべてを理解して操縦しようとすると、必ず時間との戦いに負ける。

すべてを理解してしまえば、簡単には進められないことだらけになる。

すべてを立てることなど、できないのだから。

政治家は、どこかで腹をくくるしかない。

ときには寛大に、ときには酷に、自分にはねかえってくることを承知で、

ことを実行に移すのが政治家の仕事だから。

(これは何事にもおいてそうだが)

腹をくくる覚悟がない人ほど、いい加減なことをたくさん言う。

それが通るほど甘くない時代に、日本も入ったのかもしれない。

正直のところ、ぼくにも、対案がない。

だが、軍備の必要性が一段階上がったということになると、

(幸か不幸か、タイミング良く中国からの威嚇行動があり)

今度は一転、自国での軍備、憲法改正という流れもある。

これは、他の国々からみれば怖いだろう。

これだけの技術大国が一致団結して武力を開発するとなれば。

今は、その必要性がないことを願う。(しかないのかな)

話はそれるが、ギリシャを見てると、

「道楽息子」を思ってしまう。

(ギリシャの人、怒らないでね)

国家の収入の七割が観光の収入ということは、

偉大な先祖=親、の遺産で食いつないでるようなものではないか。

やはり、「子に美田は残すな」は、

正しいのかもしれないな。

2010年05月13日

スポーツの春

交流戦って聞くだけで、華やぐ。

球場にお客さんが戻ってるような気がするのは、

采配がオープンになったり、カードの組み方がかわったからだろうか、

それともあらゆる局面で流れがライブに回帰しているからだろうか。

しかし、これだけメジャーを見てしまうと、球の重量感の差が

伝わってきて、違うスポーツを見ているような気も若干しないでもない。

(いや単なる体格の違いか。外人の大きな振りを見るとスカッとする。

 ただ、細くてしなやかな体型に、あまり萌えなくなってきた。

 家に妊婦がいるせいだろうか)

才能ある若い投手が、あまり技巧に走りすぎるのはなんだか

老成が速すぎて、もったいないような気も最近ではしてきたり。

(贅沢言いすぎ?)

小笠原とか合理的でないような振りの大きい選手は面白いし、

清水とかも下柳のような味が出てきたらもっと面白くなりそうな。

(オヤジ趣味入ってます。たぶん)

中島のバッティング、右腕の押し出しがより力強くなった気がする。

川崎は体の裁きが、よりイチローのしなやかさに近づいた。

松坂は球の重さに重量負けしていない感じがすごい。

日本人投手の寿命は二年なのか、と思ってたが

また新しい大陸を見た気がした。

皆、上にゆくときは一度へこむんですね。

フリーキック。

「W杯最後だから」で、打つ人を決めてほしくはないなあ。

「おれが打つ方が入る」、と言える人に打って欲しい。

(勝手なこと言って、すいません)

なにごとにおいても、日本はこの逆境モードが続くんだろう。

というより、はみ出していかないと、もう無理でしょう。

はみ出し者の強みは、本当の負けを知っていること。

負けを認めない者は、もう前に進むことはできない。

ひろゆきって人が最近おもしろい。

(ぼくが気づいたのは半年くらいまえから)

この人は今の社会をよく見据えていて、実は目線が誠実だ。

(2チャンネルは好きじゃない。最近少しモラルが出てきた気がするのは、

 ほかにやたら過激で卑猥なものが増えてきたからか?)

自分で新しいことをつくり、経営的なこともし、自力で戦ってきた人に

洞察力がないわけがないか。

(いや、皆そうというわけでもないな)

こういう人が表に出てしまった場合のリスクもあるが、

この人はきっとぶれない。

権力と手を結んだり、権力に委ねようと

一度も思ったことがなさそうなのが凄い。

(ま、そんな人はいないか)

2010年05月19日

メディアと顧客

いろいろなメディアのいくつかの内容において、

こう一般の人たちにまでわかるほど偏ってくると、

長い目で見た場合、その矛先は結局自分自身に向かうのではないか、

いつかは呆れて見放される日が来るのではないか、

とあらぬ心配をしてしまう。

(まあ、でも激しい二項対立、三項対立が出てくるのは、

 それも成熟した証といえるのかもしれない。

 だが、中立を装った操作などがまかり通る

 となると、それはまた別だろう)

ずっと以前から、それはあったことなのだろうけれど、

今回の政権交代劇も含めて、今起きている社会のあらゆる変化は、

それらを浮き彫りにし、世の中にきちんと晒そう

という無意識の民意の流れなのだろう。

だが、これは日本に限ったことではない。

今、世界中で同時に起きていることでもある。

もっと大きな抗えぬような力=これを神という?

の作用が働いているような気がしてならない。

一部の気骨あるメディアを除いて、

今の状況は、マスターの愚痴が見えてしまっている。

(あ、もちろん愚痴が芸になってればいいんですよ)

意に反して、無理に振る舞ってるようにも見える。

(そっちの方が見ててつらいかもしれない)

いろいろの愚痴につきわなきゃいけない顧客は、

逃げだそうとするか、そのときだけいやな思いを我慢するか、

のどちらかではないか。


 

2010年05月27日

街の息吹

仙台坂上から、原宿駅まで久々に歩いてみる。

交番前の店に貼られた、とある政党のポスターをなにげに眺めていると、

通りがかったスキーの某カップルもいっしょに見ていることに気づく。

つまらないものでした、と内心謝りながらその場を後にする。

西麻布から六本木通りに向かって坂を上がると、急に人通りが増える。

日赤通りを越えて、骨董通りに入らずに、駒沢通りまで歩いていく。

駒沢通りの延伸工事は、ほぼ完成に近づいていて、面白い。

六本木通りから骨董通りの先までが、もう見通せるようになっている。

これまでなんでもなかったマンションがランドマークになり、

高級マンションの代名詞だった物件が、道路拡張のために

一部を削り取られようとしている。

これも、時の流れというものだろう。

そのまま新駒沢通り(赤坂通り)を歩いていくと、大勢の人の流れが。

その正体は、根津美術館へと向かう流れだった。

表参道へと曲がってからも、美術館への人の流れとぶつかる。

年配の方だけでなく、若い女性や学生の姿も。

とても、平日とは思えず。連休をずらしてとっていると思われ。

分散連休が公式に決まれば、そういう光景がもっと普通になるのだろう。

表参道は、やはりカメラを手にする外国人の姿が多い。

パリのシャンゼリゼも、ニューヨークのマジソンアベニューも

ロンドンのセントラルサーカスも、表参道の洗練には敵わないだろう。

(自分は、街の猥雑さや小汚さもけっこう(相当に)好きだ)

なんだかんだ言っても、日本の街並みや日本人の美意識は相当に高いと思う。

明治通りとぶつかる交差点の一角は、今工事中になっている。

一説によると、そこにはハンズができると聞く。

個人的にはとてもうれしいぞ。

 

2010年05月29日

義理としがらみについて考える

義理という言葉はけっこう好きだ。

義理がなければ、広告の仕事などやってこれたもんじゃない。

とはいえ、行き過ぎた義理は困ることもある。

では、しがらみがどうか。

これは、相当に厄介な代物だ。

しがらみのない人などこの世にいないだろう。

通常は、年をへていくほどに、しがらみも増えていく。

義理のつもりでつきあっていたはずが、

気がつけば、がんじがらめになって、ものの見方も硬直していき、

本来の目的とはなんだったか忘れてしまう。

しがらみだらけになっているときは、

それが心地よくさえなっているから、さらにたちが悪い。

よくわからないが、自分には子供のときから、人生は何度か

変化していかなくてはならないという強迫観念がある。

環境に埋没してしまうと、フラットに見れなくなるという

恐れが大きいのかもしれない。

(これは最近になって自分の中にため込んでゆけばいい

 ということにようやく気がついたのだが)

個人的例をあげさせてもらえば、

外から強制的に環境を変えてもらうというのは、

心のしがらみをなくすのにけっこう効く。

会社員時代に経験した、東京→大阪→東京という変化は、

苦痛もあったけれど、ものの見方という訓練の上では、とても役に立った。

電通さんなんかでさえ、東京と大阪はほぼ別会社だから、

博報堂の場合は、さらにギャップが激しい。

自分はここで二度転職したと同じような開き直る力を養えたと思う。

クリエイターは地盤をつくるのに時間がかかるから尚更だった。

自分の意志で環境を変えるのは、精神的負担がまだ少なくて済むが

会社で初めて正式にクリエイティブ転局試験をへて移ったときや、
(これは明らかな事実があるのに、違うと言う人が出てきて、
 辟易したことがある)

独立のとき、新しい業態への挑戦のときには、やはりある種の

開き直りと諦めで乗り切った。(諦観力とでもいうか)

変わる始まりの瞬間は、とても苦痛だけれど、

新しく生まれ変わった自分と、確実に出会うことができる。

大きな組織で、一生を積み重ねていくことも十分に尊いけれど、

一生に一度でも身を軽くできたり、ものの見方をリセットできることは、

自分を大きく成長させることに、必ずつながると思う。

話が少しそれたかもしれない。

しがらみを自分から絶てる人は強い。

皆がそう知ってしまった時点で、

もう後戻りすることはないように思う。

橋下さんや、(賛否両論ありますが)舛添さんの人気の理由もそこにある気がする。

小泉さん人気が未だ高いのも、石原さんが健在なのも、

豪腕の小沢さん、天然の鳩山さん、岡田さんをジャーナリストたちが

決して見捨てない理由もその辺にあるのだろう。

(しかし民主党は、アメリカチームと中国チームと不思議な割れ方をしている)

一匹狼的な北野さんの存在が、ここにきて際立っているのもそうだ。

狩野英孝がいまだ残っているのも、あるときから内村さんが突き放した

ことと無関係だとは思えない。

(もちろん、皆しがらみが一切ないわけないだろう)

この方々には失うことの恐れをそう感じない。

だから、潔く見える。

政局に関して言えば、あと一波乱、二波乱あるような気がする。

最近の流れは、マスコミが一斉に同じ方向を向いたときに、

世間はブレーキをかけて、逆ブレする傾向がある。

草薙くんの事件のときもマスコミが叩きすぎたために逆ブレした。

世論調査が偏っていれば、バランスをとろうとするのが

どっちに転んでいいかわからない民の心理だろう。

結局、煽れば煽るほど、

消費者は不感症になる。

(そして、忘れやすくもなる。

 一週間前は、遠い過去だったりもする)

どんなに相手の悪口を並べ立てようと、

言ってる方にはなびかないのは、子供でもわかる話だ。

最後には、しがらみが軽い人たちが、笑っているような気がする。

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