散歩に出た。
ずいぶん離れた神宮前三丁目まで。
気になる目的地があったので、ちらりと見にいく。
そこは「また、来ますね」と言ってから、一度も訪れていない
酸素エステと同じビルに入っていた。
エステのお姉さんたちに見つからないように、そっとエレベータに乗る。
ビルの中から見た景色は、パリの古いアパルトマンのようだった。
それから、神社の方に向かって歩いていくと、
三度目にして、やっと「おばちゃん」の店が見つかる。
商品を配達してくれると、
そこの店主(おじさん)は、この周辺一帯の由来や歴史について、
三十分も説明してくれるので、勝手に「おばちゃん」と呼んでいる。
(おじさん、ごめんなさい)
さらに、歩いていくと、建築界では知られた「棟」の家の裏側へ。
狭い敷地に人が住まうという楽しみを、散々語り尽くした後で、
「ここ、人が住んでるのかなあ」
と言われ、がっかり。
と、鼻の先ほども離れていない隣の敷地に、中華料理屋を発見。
装飾など体裁にとらわれない無骨な外観は、確実にうまいと見えた。
以前、ガレージでやっている中華街の店に取材で行ったことがあるが、
それに匹敵するいい気の抜け方である。
その日は、「鳥」を食べたかったが、どうにも惹かれてしまい、
付近を一周半したあとで、店に舞い戻る。
カウンターの真ん中がちょうど開いたところだった。
両端には、おばあちゃんが座っており、激しくラーメンを啜っている。
なんともたくましい光景に、圧倒された。
味は、見立ての通りシンプルで堂々たるもの。
ぼくは長らく求めていた豚足に、ようやく出会えたのだった。
次こそは「鳥」を食べに行きたい、とも思う。
しかし、鳩山総理の言葉には、まいった。
「理解していませんでした」
最初聞いたときは、驚き、呆れ、しばらくしてから考えさせられた。
確かに、この時点で言うのは、相当にお粗末だ。
しかし、これ以外の言葉で、どう収まるというのだ。
(ぼくは一方的に民主党を支持するつもりもなければ、
選挙で民主党に入れた沖縄県民の怒りはわかる。
だが、最初からなにも提起しないより、少なくとも
一年以上かけて、この問題を自分のこととして
考えられるようになったことは、良かったと思っている。
今、大変な思いをしたことは、必ず後につながるとも。
矢面に立たされて奮闘する人間を、後になってからでしか
評価できない今の状態は少し虚しいとも思う)
少なくとも首相は、嘘の言葉で誤魔化そうとはしていない。
一番恥ずかしいことを、真正面から言っているのだ。
かつて、こんな正直な首相がいたのだろうか、
というより、こんな愚直な首相が成立した国があるのだろうか。
これも、不思議な平和の国、日本の象徴的な出来事であり、
平和を求める世界が漂泊した、ひとつの姿なのだと身動きがとれなくなった。
(ぼくにはその驚きの方が大きいのかもしれない)
十ヶ月かかってからようやく理解するような人は、
逆に言えばそう簡単になにかに染まることはない、ともとれる。
すべてを理解して操縦しようとすると、必ず時間との戦いに負ける。
すべてを理解してしまえば、簡単には進められないことだらけになる。
すべてを立てることなど、できないのだから。
政治家は、どこかで腹をくくるしかない。
ときには寛大に、ときには酷に、自分にはねかえってくることを承知で、
ことを実行に移すのが政治家の仕事だから。
(これは何事にもおいてそうだが)
腹をくくる覚悟がない人ほど、いい加減なことをたくさん言う。
それが通るほど甘くない時代に、日本も入ったのかもしれない。
正直のところ、ぼくにも、対案がない。
だが、軍備の必要性が一段階上がったということになると、
(幸か不幸か、タイミング良く中国からの威嚇行動があり)
今度は一転、自国での軍備、憲法改正という流れもある。
これは、他の国々からみれば怖いだろう。
これだけの技術大国が一致団結して武力を開発するとなれば。
今は、その必要性がないことを願う。(しかないのかな)
話はそれるが、ギリシャを見てると、
「道楽息子」を思ってしまう。
(ギリシャの人、怒らないでね)
国家の収入の七割が観光の収入ということは、
偉大な先祖=親、の遺産で食いつないでるようなものではないか。
やはり、「子に美田は残すな」は、
正しいのかもしれないな。