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2010年07月03日

明けても暮れても一週間

ワールドカップも、選挙もあと一週間。

今朝の武村さんの発言は、思わぬ風を吹かすかもしれない。

今なぜ、とくすぶる消費税議論に、もういちど酸素を入れた。

菅氏民主党には、思わぬ追い風になるかもしれない。

小沢氏を昔の自民のような抵抗勢力へとイメージさせる。
(ちなみに小沢さんの勇退は、個人的に評価できると思っている)

とはいえ、経団連への歩み寄り、消費税への不用意な言及、

さらに弱者への媚びともとれる還付への提言はいただけない、と思う。

消費税をあげることは、全国民に毅然と覚悟を促すことではないのか。

企業献金への訣別を、謳ったのではないのか。

八方美人ではなにもなしえない。

自民党は、CM自粛という民放の英断に救われたか。

みんなの党が、一番侍のような気がするが、

(あと、ある意味で平沼さん)

この方々が何をなしえてきたのか、今ひとつみえてこない。

(政治に清貧を持ち込む姿、獅子奮迅たる発言の内容は好ましい)

さらに立候補者が、渡辺さんたちの像と少しずれて見える。

もう少し話を聞ければ、印象が変わるのかもしれないが。

藤原正彦氏の「日本国民に告ぐ」、を読んだ。

やっと言ってくれる大人が現れた、という思いがした。

井上ひさし氏も、流れていた川の底には

そうした部分を持たれていたのが、興味深い。

勿論、持ってない方はいないだろうし、

だが、作家はそれを直接言ってしまうわけにはそういかない。

藤原氏の、勇気と至知と提言に感謝したい。

(話はそれるが、氏の新潮でのカメルーン戦への言及は、

 若者たちの勝負への執着、成長を見逃しているような気がして

 些少憤慨して読ませて頂いた)

スアレスをずっと応援していた。

一次リーグでの、小動物のような動き、両手をやや下向きに広げて

少年のように快活に走るひたむきな姿に魅せられた。

インタビューでの素っ気なさに、本田君と似た部分を感じたこともある。

ガーナはライオンのように美しく、マサイの戦士を思わせた。

最後の最後のシーンで手をつかい、

相手のキックが外れたことに狂喜乱舞する姿だけは、

素直に応援することができなかった。

極限まで集中した無我夢中の条件反射だろうけれど、

サッカーという競技そのものを考えさせられてしまった。

息子の過ちを見逃してしまったような感じだ。

次の試合出れないことが、結果的には幸いだろう。

その間に頭を冷やして、チームが決勝まで進出することを祈り、

フィールドで素晴らしいプレーを見せることのみで

是非、名誉挽回してほしい。

2010年07月14日

名前

モンジロウという名前にしたかったのだけれど、

結局、却下されて別の名前になった。

それも、昨年から言い続けてきた名前だから

いいのだけれど。

少し本田君の名前とかぶるのがよくもあり、

なんだか流行りになりそうで複雑でもあり。

政界のシンジロウさんは、とても清々しいのだけれど、

イケメンで口が達者で親が大物であればいいのかと、

ちょっと簡単すぎやしないか、と穿っている。
(少し嫉妬が入ってるのかもしれないな)

話は変わるが、イニエスタとドノバンとスナイデルとロッペンの

髪型は同じだ。

いいストライカーの条件は男性ホルモンにあり、と思いきや

ビジャやフォルランは違うか。

ヨーロッパの荒い方のサッカーは好きではないが、

シュートを決めた人間がいちばん偉い、という

当たり前の主張が通るヨーロッパは好きだ。

テレビがやっと新しくなった。

三ヶ月前に買いに行ったときに、ちょうどシャープの新製品が

発表されたので、そのときに予約したもの。

ワールドカップが終わる頃に新しくなったのは、うちくらいだろう。

まあ、6月はテレビが天敵だったからな。

決勝の臨場感の素晴らしかったこと。

選挙報道のくどかったこと。

平穏な日々を情報化するコンテンツが、もう少しあってもいい。

先日クルマの中で聞いた、

一般の高校生(すれてない)がDJをやっているラジオが

新鮮だった。

(これは音だけだから、きっといいのだけれど)

2010年07月15日

金(きん)

今日、テレビを見ていたら、

微生物は誰のものか、という特集をやっていて、

ふむふむ確かにどちらのものだろうと興味津々になった。

誰かの手についていたかもしれない微生物を、

資源と捉える目線が面白かったのだ。

そして、日本にもかつては資源があったのだよな、

という思いにかられた。

というか、ここ数年たびたび夢想しているのだ。

あの、金の半分でもあれば、日本は救われるのではないかと。

日本には、金と銀の交換比率がやたら安かったことに目を付けられて、

金を根こそぎ国外に持ち出されてしまった過去があるらしい。

でも、今さら返せとは言えないよなあ(笑)、と思っていたら、

海外では、資源の返還の声が出てきている(おそらく植民地)と

触れているのを聞いて、さらに「ほほう」と思った。

出たところに戻るのも、ひとつの真理。

そういう意味ではオバマ氏のとった行動は、

(先日の石油タンカーでの一件)

たいしたものだとも思うのである。

2010年07月19日

二日酔い、明ける。

理工硬式庭球部、同期会。

相当遅れて合流したので、朝まで付き合わしてしまう。

みんな、わるかったね。でも、楽しかったわ。

主将の岡本は静岡で塾を経営、ほかの皆も建築事務所を経営したり、

企業の責任ある役職についてたりと、頑張ってるらしい。

人生の形は、本当に人それぞれだ。
(ちなみに、離婚経験者は自分だけ)

皆から、最近のブログが難しいと指摘される。
(読んでくれてるのはうれしい限りです)

7月に入ってから、露悪的な海外の小説に取り組み始めた影響だろうか。

文学は、挑発するべきか、救いであるべきか。正直、葛藤しています。

途中、不遜にも呼び出し結局来れなかった伊東さんは、

映画の監督をしたらしい。
(Mステやってると聞いていたがいつの間に。あ、離婚経験者がいた)

みなさん、がんばっておられるんですね。

朝、ひとりで高田馬場界隈を散歩する。

何度も、何度も往復する。

おいH、おれたちの知っていた街は、もうなくなってしまったらしいぞ。

お前のアパートまで行ってみたが、結局見つけることができなかった。

バブルの全盛時も、かろうじて残っていた駅前のアパートは

どこかへ行ってしまった。

俺たちのは、神田川ごっこだったけれど、それでも謳歌していた

あの頃は、きれいさっぱり失われてしまったようだ。

近代化の出揃ったあとに生まれた、俺たちがこんな目に遭うとは、

思いもよらなかったな。

実は、先日理工学部に忍び込んで、部室がなくなってるのを

確認したときも、似たような思いがした。

感傷に浸っている場合では、ないかもしれない。

昨日は、前田姉妹が訪問。

最近、よく来てくれる。

息子は、飛行船を吹いて回すと、

吹いた方ばかりを不思議そうに見ている。

もう物体の「作用」がわかるらしい。

親バカだろうか。

2010年07月21日

髪を切る

久々に髪を切る。

というか、切ってもらう。

どこぞで見た、CMのように。

で、しばらくベランダにいると、

部屋の中から声がする。

最初は、「ああ、ああ」

だったのが、

そのうち「あっ、あっ」と

威嚇するような声になる。

怒っているらしい。

自分をおいて、外で声がするのが

息子はどうやらいやらしい。

部屋にいるときは、ひとりで遊んでいるのにな。

半月くらい前から、よくしゃべる。

二回続けて、親バカでした。

ベビーベビーベビーシッター

呼び出され、三人の赤ん坊の子守をするものと、

前向きに覚悟しつつ、心理的ハードルの高さからか、

少し(かなり)遅れて辿りついたら、

すでに客人の姿はなく、夕飯にもはぐれた。

無念。

2010年07月22日

やっぱり生か。

最近の生放送ものは、見応えがある。

政治家や一般の方を呼んだもの。

意図せぬ一瞬の表情に本当が透けて見える。

一般の人の切実は物言いは、手垢のついた言葉や

こなれた振る舞いより、胸に迫る。

これぞ、テレビの面目躍如ではないか。

取り繕っても、余程のプロ以外は完璧になど反応できるものではない。

シュミレーションをすればするほど、その準備が透けて見えたりもする。

だから、生は面白い。

(勇気ある生放送ではスポンサーへの配慮で神経をすり減らしてる

 方々も裏ではたくさんいらっしゃることでしょう)

しかし、なぜテレビに出る人は、

笑顔にさせようとするのだろうな。

片山さつきさんなどは、憮然としたときの表情に

「ああ、この人(正直で)いい人なんだな」などと思うし、

味が出てみえると思うのだが。
(参議院という存在論はまた別ですが)

逆にある議員の笑顔に変わるときの一瞬に、裏を見てしまったりもする。
(ときには、誤解だったりもするのでしょうけれど)

小泉ジュニアは、やはりちゃんとしているなと思った。
(筋が通っているという部分で)

生放送ではないが、三宅議員の転倒を検証するという映像を、

何度も見せられていると、別の部分が見えてくる。

まるで、湖池屋のジャガッツのサブリミナル広告のようだ。

(無論、局にその意図は感じられない)

民主が巧みになってきた(なろうとしてる)のが印象的だ。

昔、枝野さんがなにかの討論番組で、

竹中さんにこてんぱんにやられていた頃とは雲泥の差だ。
(あの頃、時代はディベートの上手な人間についたが、
 今はまた変わってきている気がするな。
 今になってあのときの愚直な感じが、効いてきてる
 感じがするから)

いずれにしろ、自分はその人間を見たい。

大阪万博の映像を見たときに、何が一番違って見えたかというと、

人間の表情の作り方だった。

昔の人は、無防備というか、全くカメラを気にしていなかった。

(緊張して澄ましていただけかもしれないけれど)

しかし、計算が見えすぎてない分、かえって品があるように見えた。

皆が賢くなり、あらゆる面で発達した分、逆戻りするなどというのは

愚かなことだろうけれど、少しくらい原点に戻ってみても

いいのではないか。

こういう時代は、お笑いこそが守りに入ってはいけない気がする。

簡単にはいかないことだらけでしょうが。

どのジャンルもたいへん難しい局面だと思います。

2010年07月25日

少しわかる。多分わからない。

同じことを長らくし続けるとすりきれる。

それが自分に責任があって、

自分だけでは成立しないことであればなおさらだ。

自分自身が「商品」の場合は、特に逃げ場がない。

喚起されたのは、ナイナイの報道かもしれない。

自分の場合は、三十半ばくらいから強烈につきまとった。

なぜこの仕事をしているのか? 本当に今のままでいいのか?

一度考え始めると、際限がきかなくなった。
(皆さんは、きっとそこを潜り抜けているのでしょう)

いやそれよりも、自分の意志とは反対のことに、

責任をもつという矛盾に耐えられなくなった。
(当時の最年少責任者的肩書きのせいもあった)

「よくない」と思うのに「とてもいいです」と、

表現する者として言わなければならないことに。
(いろんなシチュエーションがあるので一概には言えない。
 もちろん幸せな仕事もあった。
 一番たちが悪いのは、自分の中でこのくらいまでと
 勝手に折り合いをつけてしまうとき、
 尺度を変えてしまった自分に気づくときだ)

それが、表現者といえるのかという、

中途半端な立ち位置も問題だったかもしれない。

その後は、何をしてでも目立てば勝ちという構造に耐えられなくなり、

それを、縮小再生産しようとするすべての世界から目を背けたくなり、

そしてそれは資本主義、さらには世界の構造へと。。
(この辺で、やめときましょう。。)

今は、少し違います。
(再びたくましくなろうとしています)

当たり前のことだが、タレントにも意志はある。
(意外と皆、気がつかない)

岡村氏は、きっと真面目で潔癖だ。

彼らの芸風に毒がないところからも想像できる。

それは、きっとそれほど下積みを経ずにデビューでき、

ここまで走って来れた育ちの良さもあるのだろうが、

基本がないと頻繁に言っていた彼らなりのスタンスもあるのだろう。
(おかげで、花開いた若手芸人もたくさんいるだろう。
 まだペイペイの頃、天素のイベントを手伝ったことがある。
 偶然、オールナイトニッポンでの初日を聞いたこともある。
 オンエアの間中、緊張して空回りしていたのが初々しかった。
 あの頃は、誰でもそうだった)

女や金に逃げることもできればまだ救われるだろうが、

それでは満たされない人間もいる。
(勿論、お金を稼ぐのは大変なことです)

というより、時代が常に健全であることを求める。

これでは、息を抜く間がない。

表現者は、本音を吐く場がなければ多分生きてゆけない。
(そして、それを表現でできればこれ以上の幸せはない)

面が割れている人間が幸せかどうかは、本人でなければわからない。

それは誰かに監視されてみて、はじめてわかることかもしれない。

ナイナイの報道が、的を射てるのかどうかも含めて。

 

目の光。

故岡本太郎さんと、水木しげるさんの

目が似ている、

と思った。

正確に言えば、目の光

だろうか。

自分の信ずる道だけを、

ただひたすらに歩んだ人の目は、

ああいう風に光るのだなあ。

2010年07月28日

リハビリ月間

ベッドを直していたら、

急に柱が落ちてきて、

生暖かいものが流れてきた。

鏡を見るとやはり割れていた。

けっこうな血の量。

眉間は簡単に割れるから困る。

お灸の跡が二ヶ月たっても直らなかったり、
(というかきっと一生直らない。
 お尻の美しさだけが自慢だったのに)

代謝能力が鈍ったのだろうか。

身代わりを天から課せられているのか。

ならばよしとしよう。

股関節がどうしようもなくて
(座骨神経痛)

ダンスを始めた。

これでは今日は、行けない。

いや行ってやる。

痛いのを我慢するよりずっといい。

酒も血行にいいのでは、と最近またやり始めたのだが、

おとといも光文社の面々と、かなり遅くまでやってしまった。

せめて、あと一杯セーブできたらな。

なぜ、飲めば飲むほど楽しくなってしまうのか。

隣のおじさんが、我らに一杯奢ってくれた。

やたら、熱い話をしていたからだろうか。

暑いし、眠いし、座ると痛いし、なんにもはかどらん。

こんなんでいいのか。

いや、もういい大人だし、

過ぎてしまったことは諦めるしかないな。

花火大会

暑すぎて忘れていましたが、

今年もやります。

神宮花火大会。
(8月19日だっけ)

今年は御苑前の事務所の方で。
(たまには使ってあげないとね)

参加希望の方は連絡くださいな。

2010年07月30日

政治はアートか。

官房長官が、政治は妥協のアートだ、

と語ったという記事を読んだが、

以前に前原さんが、政治は派閥の総合芸術、

と語ったのを思い出してしまった。

(あれは、編集のトリックもあると思いますが)

妥協はともかくとして、そもそも政治にアートという言葉が

そぐうのかどうか。

独自の思想や美意識を持っての発言だと思われますが、

それにしても今の危機的状況を前にすると、

些か遊民的に聞こえてしまうのは、

自分の身すら切っても、という

切迫感が感じられないからだろうか。

(決して退陣を求めたいのではありません)

芸術家の本質は、自らの身を削り、律し、

自らを厳しく切断することに、あると思っている。

当然、身近な周りの人間にも、

ときに厳しく接することになる。

オバマ氏の身の回りにも、ウォール街のロビイストが

うようろいたらしいが、それとは関係なく金融規制法案は

成立にこぎつけた、と聞く。
 
(そして、それほど骨抜きにされなかったとも聞く。
 他国の威を借りて言うのは、ずるくてすいません)

そのようなことを含め、輝かしい公約を掲げて出現した党として、

この政権はなにかひとつでもできるのではないかと、

期待して待っている。

参院の結果は、ニーチェの言葉を借りれば、

どちらかといえば内容よりも態度に反発が出たのだと思う。

千葉さんの落選の原因は、それこそうまく「妥協」できなかった、

ことに尽きると思うのだが、

死刑執行の立ち会いには、「実」の人を感じた。

信念を曲げてその瞬間を見据えるなど、そうできるものではない。

丸山健二さんの「夏の流れ」がよぎった。

2010年07月31日

前に進め

前に進むには、

言葉と熱意と歯切れのよさだ。

立場を明らかにしてきちんと問いかければ、

自ずと関係が見えてくる。

なにか新しいこと始めれば必ず批判する輩は、

現れるものだ。

味方を装った敵、その逆など様々な者も出てくるが、

惑わされてはいけない。

大抵はただ言ってみてるだけなのだ。

利害関係が明らかに反対の場合以外は。

膠着状態のときは世論を味方につけるしかない。

矢面に立ち苦境に身を挺している人間を、

人々はそう簡単に見捨てたりはしない。

肝心なときこそ、恥を捨て前に出るべきだ。

そう行動しようと思いずいぶんたつが、

なかなかそううまくできるものではないな(笑)。

(高校生くらいのときが、いちばんバランスが
 よかったような気もするが、あれは本物ではないな)

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