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少しわかる。多分わからない。

同じことを長らくし続けるとすりきれる。

それが自分に責任があって、

自分だけでは成立しないことであればなおさらだ。

自分自身が「商品」の場合は、特に逃げ場がない。

喚起されたのは、ナイナイの報道かもしれない。

自分の場合は、三十半ばくらいから強烈につきまとった。

なぜこの仕事をしているのか? 本当に今のままでいいのか?

一度考え始めると、際限がきかなくなった。
(皆さんは、きっとそこを潜り抜けているのでしょう)

いやそれよりも、自分の意志とは反対のことに、

責任をもつという矛盾に耐えられなくなった。
(当時の最年少責任者的肩書きのせいもあった)

「よくない」と思うのに「とてもいいです」と、

表現する者として言わなければならないことに。
(いろんなシチュエーションがあるので一概には言えない。
 もちろん幸せな仕事もあった。
 一番たちが悪いのは、自分の中でこのくらいまでと
 勝手に折り合いをつけてしまうとき、
 尺度を変えてしまった自分に気づくときだ)

それが、表現者といえるのかという、

中途半端な立ち位置も問題だったかもしれない。

その後は、何をしてでも目立てば勝ちという構造に耐えられなくなり、

それを、縮小再生産しようとするすべての世界から目を背けたくなり、

そしてそれは資本主義、さらには世界の構造へと。。
(この辺で、やめときましょう。。)

今は、少し違います。
(再びたくましくなろうとしています)

当たり前のことだが、タレントにも意志はある。
(意外と皆、気がつかない)

岡村氏は、きっと真面目で潔癖だ。

彼らの芸風に毒がないところからも想像できる。

それは、きっとそれほど下積みを経ずにデビューでき、

ここまで走って来れた育ちの良さもあるのだろうが、

基本がないと頻繁に言っていた彼らなりのスタンスもあるのだろう。
(おかげで、花開いた若手芸人もたくさんいるだろう。
 まだペイペイの頃、天素のイベントを手伝ったことがある。
 偶然、オールナイトニッポンでの初日を聞いたこともある。
 オンエアの間中、緊張して空回りしていたのが初々しかった。
 あの頃は、誰でもそうだった)

女や金に逃げることもできればまだ救われるだろうが、

それでは満たされない人間もいる。
(勿論、お金を稼ぐのは大変なことです)

というより、時代が常に健全であることを求める。

これでは、息を抜く間がない。

表現者は、本音を吐く場がなければ多分生きてゆけない。
(そして、それを表現でできればこれ以上の幸せはない)

面が割れている人間が幸せかどうかは、本人でなければわからない。

それは誰かに監視されてみて、はじめてわかることかもしれない。

ナイナイの報道が、的を射てるのかどうかも含めて。

 

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2010年07月25日 15:59に投稿されたエントリーのページです。

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